その70 「ミナコちゃんのこと。。」
なずなちゃんへ。。
「それでね、ドサッって 嫌な音がして・・・・・・。 そうだ。 ドサッって別
に嫌な音じゃないでしょう?
だけどグシャって聞くと卵が割れたとか頭がつぶれたかとか思うし、
ボキっていうのも骨が折れたとかあんまりいい想像しないじゃない?
ドサッは違うわ。 新聞紙の束を投げてもドサッっていうし、お米の袋
を置く時もドサッっていうし普通よね。
なのに、その時はいやぁな感じに聞こえたのよね。 不思議よねぇ。
人間の耳って。 同じ音でも嫌な音とそうでない音となにからだか区別
するものなのねぇ」
そう言ってミナコちゃんはタコのフリッターにフォークを突きたてた。
ミナコちゃんとは大学の一年の時、大型ビデオ店のバイトで知り合っ
てかれこれ2年のつきあいになる。
ミナコちゃんと仲良くなったきっかけは ミナコちゃんが他の女の子とも
めた時、私がちょっとだけ味方をしたからだ。
その女の子には彼氏がいてバイト先にしょっちゅう遊びに来ていた。
そのうち彼氏がミナコちゃんに夢中になって その女の子に別れたいと
言い出した。
それをミナコちゃんが誘惑したと言って責めたてたのだ。
味方をしたというほどのこともない。 私はただ客観的に見て思ったと
おりのことを言っただけだ。
「ミナコちゃんの方が性格もいいし、かわいいもの。 あたりまえよ。
彼もそう思ったんでしょ」 と。
その女の子は気が狂ったみたいに泣き叫び手当たりしだいにビデ
オやDVDやCDやらを掴んでは投げ、罵って投げ、いくつかの棚を
空っぽにしてしまった。 もちろんクビだ。
理不尽だと思ったが、その原因となった私とミナコちゃんも
クビになった。
ミナコちゃんは申し訳ながって食事をご馳走してくれた。
以来、電話やメールで近況報告をしたり
二ヶ月に一度くらいのわりあいでこうしてお昼を一緒に食べたりする
ようになったのだが・・・・・・
この日のミナコちゃんはあきらかに おかしかった。
まず、つい一週間まえに恒例の食事会をしたばかりだったし、
「たまになんだからおいしいものをたべましょう」 と言って
店を選ぶ人なのに、どこにでもあるファミレスだったし。
私が店に着いたときすでに注文がすんでいて、
グラタンやらハンバーグやらたらこのスパゲティやらサラダに
チョコレートケーキにから揚げに枝豆に・・・・・・およそ目につ
くものは全て頼んじゃいました状態のテーブルで生ビールを
ガブガブ飲んでいたことも。
ミナコちゃんはそんな大食いじゃないし、
一人で注文しちゃうなんて勝手なことしないし、
昼間からお酒なんてのまない。
しかもガブガブだなんて・・・・・・。
なにもかもがミナコちゃんらしくなかった。
「ミナコちゃん? どうしたの? 」
ミナコちゃんはそれには答えず 「おかわり」
と言って生ビールを追加した。
「池田さんと何かあった? 」
他にはミナコちゃんがこんな風になるような事は思いつかなかったのだ。
池田さんというのは、ミナコちゃんがここ一年くらい
つきあっている人で単身赴任中のサラリーマンだ。
一度会わせてくれたがよれよれのスーツを着て、
気弱に笑う なんとも冴えない中年男だった。
もちろん既婚者だ。
知らないところに来て一人きりで、
寂しい人なのよ。 私しかいないの」
いい大人が知らないところだの一人きりだのもないものだと思ったが、
ミナコちゃんはそう思わない。
ミナコちゃんは同情が愛に横滑りするタイプらしかった。
それでもずいぶんうまくいっているようで会えば
池田さんの話しばかりだった。

「ミナコちゃん? 」
ミナコちゃんは新しい生ビールを半分まで一気に飲んで、
さらにチョコレートケーキを口いっぱい頬張り、そして言った。
池田さんとはもう会わない」
「そうなの? 」
「きのうね、池田さんのところに泊まったの」
「うん」
「ベッドに入ってどれくらいだったか、ノックの音がしてね」
「うん」
「・・・・・・音がしたの。 ドサって・・・・・・
そうそう、ドサッて別に嫌な音じゃないじゃない? なのに・・・」
「ミナコちゃん。 それ、さっきも言ってたよ」
「そうね。 そうだった? ごめんね。 なんだか私 自分が自分
じゃないみたいで・・・・・・」
「うん」
「池田さんが倒れた音だったの」
「倒れた先に鬼が立ってた」
「お・・・・・・に? 」
「池田さんの奥さん」
「奥さんがね 包丁もって立ってた」
空気がヒュッと鳴って 気温が3度くらい一気に下がった気がした。
ミナコちゃんはそれきり黙って猛然とテーブルの上の
料理を片付けはじめた。
私もなんだか落ち着かなくなって一心不乱に食べた。
グラタンもスパゲティも、もうとっくに冷めていたけど・・・・・・
ずいぶんな時間もくもくと食べ続けているのに・・・・・・
食べてもたべでもなくならない気がした。
「次は私だ。 ここで死ぬんだっておもった」
「こわかった・・・・・・」
ハンバーグのデミグラスソースがミナコちゃんの胸元にたれた。
一滴 二滴 三・・・・・・
「ほんとうに こわかった」
私はなんといっていいかわからないまま 固まってしまった。
ミナコちゃんもそれきり何も言わなかった。
「コーヒーのお替りはいかがですか? 」
ウェイトレスの場違いに明るい声。
あんまり驚いたものだから私もミナコちゃんも
弾かれたように立ち上がってしまった。
ウェトレスも驚いて一歩あとずさった。
「でよう」 言うが早いかミナコちゃんは伝票をつかむと
さっさとレジに向かう。
無視され、むっとしたウェイトレスの視線がテーブルを見、
ギクシャクと歩く私たちを見、舌打ちをした。
テーブルは年頃の女の子がいたとは思えないほど汚れていた。
ミナコちゃんはズンズン歩く。
ズンズン歩いてそのままどこかへ行ってしまいそうだ。
信号が赤に変わる。
「ミナコちゃん! ! 」
叫ぶのと腕をつかむのは同時だった。
振り向いたミナコちゃんの目はおびえて右に左に揺れていた。
「でもね もっとこわかったのはね。
奥さんの目に私が欠片ほどもいなかったことなのよ」
その後 ミナコちゃんから一度だけ電話がきた。
「少し荷物があったからね、池田さんのところに取りに行ったの。
何度も通った道なのに初めて通ったみたいに新鮮だった。
おかしいね」
それきりだ。
それきりミナコちゃんとは会っていない。
おわり。

Recent Comments